先日、一人の男性が「人間死んだら終わりや」と言いました。
するとそのお連れさんが「でも不思議なこともあります。夢を見るじゃないですか。だから前世とか死後の世界ももしかしたら..」と言いました。
それを聞いて、なるほど、夢というのは確かに不思議ですが、前世とか死後の世界の根拠にもなるのだなあと思いました。
実際、僕に知り合いには「ヒプノセラピー」といって「前世記憶」を扱うセラピーをする友人がいます。
で、「それはどんな感じなんですか?」と彼女の話を聴いても、僕には彼女の言う「前世記憶」の話と「夢」の話の区別がつかないです。
つまり、「それは意識があるまま見る夢じゃないの?」とこっちは思うわけですが、あちらに言わせるとそれは前世記憶というわけです。
他にもスピリチュアルなことを教えている知人が、人間の本質は通常意識を超えた存在であることを示唆するものとして「夢」を例に出していました。
かくのごとく、夢は不思議なもので、その不思議さがゆえに、今言ったように、死後や前世や、別の抽象的な世界観を説明する根拠に使われるものにもなります。
大昔から現代にわたって哲学者や科学者を悩ませ、想力を刺激もしてきた、まだ科学が解けない謎の一つです。
暗闇と幻覚 (脳神経科学の仮説)
けれど、今はかなり分かってきていることもあります。
眠っている間、脳の視覚野が活性化する理由があるのです。
脳は驚くほど柔軟で、脳神経細胞のネットワークは配線・再配線を繰り返して変化します。脳の可塑性と呼ばれます。
脳のこの可塑性は、脳の各領域も越えるほど柔軟で、しかも変化は迅速です。
なので夜眠って、視覚情報が入ってこなくなっている間、視覚野は隣接する領域に侵出されるおそれがあります。
そのため、眠っている間でも、自らの領域を守るために視覚野は活性化する必要があり、そのために視覚的な映像としての夢を見るという説です。
夢が視覚的な幻覚であり、このように視覚的な刺激が不足しているために起こるという理屈は、他の例にも当てはまります。
つまり、眼の退行性疾患を持つ人や、孤独な監禁生活にある囚人などが幻覚を見るという現象があります。
もっとも簡単なケースで言うと、暗闇の中にしばらくいると人は意外と容易く幻覚を見るのです。
というのが、夢を見る理由についての脳科学の一つの仮説です。
個人的には説得力のある仮説だと思っています。
(参考元はこれhttps://time.com/5925206/why-do-we-dream/)
緊張解消のシステムとしての夢
さて、今の話は、「生物として」の切り口でしたが、「人間として」の切り口が別にあります。
人間として人生を生きる上で夢を見る理由、です。
それは「緊張を解消するシステム」です。
自然界には、あらゆる緊張は均衡を求めて解消に向かう、という原則があります。
偏りは緊張を生み出し、緊張は解消されながらバランス状態へと向かいます。
昼間、生活している間に、人はさまざまな情報を得て、思考や感情が起こります。それによって、マインドは内側に混沌とした緊張状態を作り出します。
そこで、眠って夢を見る間、脳とマインドはその混沌を秩序に変えていき、緊張を解消していきます。
それが支離滅裂な内容の夢というわけです。
夢を見たあと、例えそれが悪夢であっても、目覚めたあとは、すっきりした気持ちになることがあります。カタルシスのような体験です。
マインドの緊張状態が解消されたのです。
個人的に印象的だった体験談があります。
疎遠になって連絡先も分からなくなっていた友人がいました。
SNSがなかった時代の友人だったので、しばらく連絡を取らない間に、どちらかの携帯番号が変わるなり、仕事や住居の変化などが重なって、連絡先が分からなくなってしまったのです。
友人はどう思っていたかは分かりませんが、僕の心の中では長年「自分が連絡を取らなかったばかりに・・」と、後悔と罪悪感がありました。
しかしある朝、夢の中で友人と再会しました。夢の中で、少し気まずい思いをしながら、友人と久しぶりに話ができたことを嬉しく思いました。夢の中で安堵しました。
そして興味深かったのは、目が覚めたあとも、嬉しさと安堵の感覚が残っていて、何より、気持ちがすっきりしていたのです。
夢の、ランダムな視覚映像であるということ以上の精神的な意味/効果を、気持ちと感覚で実感したのでした。
まとめ
今回は、夢について2つの切り口の話でした。
一つ目の脳神経科学の話は、夢について客観的・批判的に考える一助に。
つまり他の誰かが「あなたの見た夢は〇〇だ」と脅しをかけて、何かの思想や世界観を売り込んで来ても真に受けずに済むように・笑
二つ目の緊張解消の話は、夢を創造的な人生に役立てるために。
良い夢も、悪夢、支離滅裂で意味のない夢も、あなたの精神が良い状態を生み出そうとしている営みである。
そう考えれば、夢を見るのも人生の恩恵、味わいの一つと言えるのではないでしょうか。