
普段、YouTubeで哲学や歴史を紹介している、「ゆめラジオ」さんという人がいる。
ジャンルで言うと教育系YouTuberと言えるが、でも”インフルエンサー的”なそれではなく、派手さはなく、実直なそれだ。
僕も時々興味のあるトピックの動画を視聴し、勉強させてもらっている。
彼は個人事業としての教育ビジネスをしていて、語学や哲学を教えている。
動画ではしばしば、自分の立場や価値観から、大学教育が形骸化していることや、日本の英語教育のレベルの低さへの批判などをしていたりする。
また、彼の主張の中には、その時々で「哲学を学ぶことが大切だ」という価値観が目立っている。
社会問題のゴタゴタの中へと
そんな「ゆめラジオ」さん、いつしか政治や社会問題についても多く語るようにもなっていた。
そしてそれがきっかけで、彼は、とある社会問題に関する、”寄付金によって活動する団体”の理事のひとりになった。
この団体は、とある国政政党に対する敵対的な活動を目的とした団体で、シンプルにポジティブな慈善活動とは違って「倒すべき敵(集団)がいる」ということもあって難しいテーマのものだ。
その後、彼は時々その団体の理事として発言したり、メディアに出たり、団体が取り組む問題について論じたりしていた。
メディアに出た時にも、彼は団体の取り組む問題について語り、さらにそれと絡めて、(自分の土俵でもある)「哲学を学びましょう」と主張していた。
「もう私には関係ない話」
やがて、その団体を取り巻く状況は以前より難しくなっていった。
外にも内にも揉め事が絶えない、どころか、どんどん膨らむという状況になっていった。
しかしそんな状況の中で、その彼、突如として理事を”やめていた”。それを自分の動画の中でさらっと発表した。
彼はその団体に批判的な内容も語り、と同時に、
「とにかくもう私には関係ないから。私に言ってこないでほしい」
ということだった。
この動画に対して、コメント欄には驚きを通り越して、批判が殺到した。
批判のタイプは一つではないが、その中でも多く、そして無視できないと思えるものは、「無責任だ」という批判だ。
これまでその団体は、活動を通して敵と味方の多くの人々を巻き込んできた。団体の内側にも問題を抱えていて新たな火が広がってもいた。お金を寄付した人達もいる。
その団体の理事のひとりである彼が、いつの間か理事をやめていただけでなく、「自分はもう関係ないから言ってこないで」という態度は何なのか? それで済むと思っているのか? みたいな批判が起こっているわけだ。
言ってること、やってること
ちょっと長くなったが、ここまでが状況説明。
かなり端折って書いたので、興味がない人にとっては分かりづらかったかも知れない。
というのは僕も、個別具体的にこの問題を論じたり、誰かを批判したいわけではない。
僕が見たポイントはここだ。
普段「(人々は)哲学を学ばないといけない」と主張していた人が、現実において、無責任な振る舞いをして、信用を落としている。
この事実だ。
実は先のトピックの中では、その団体の”敵”にあたる某人物が、「日本のために自分の人生をなげうって..」のようなことを言っていながら、実際にはきわめて非常識な言動や行動を繰り返し、価値や常識を毀損し続けて信用を落としていた。その人物の場合は、政治的なり愛国心的な理念が文脈にある。
それと別の文脈で、同じ構造を見た、という感じだった。今回は”哲学”だ。
大きくて抽象的な理想や理念を語る人が現実に照らすと信頼に値しないケースがよくある。
これが今回の洞察の一つだ。
これは法則や因果関係の話ではない。つまり理想や理念を語る人が必ずしも偽物だという話ではない。
しかし、しばしば嘘や思い違い・・真実ではないものが隠れている。
本当に〇〇を学ぶべきなのか?
後出しジャンケンのようだが、今回も実はその疑いは持っていた。というのも、「(人々は)哲学を学ぶべき」というその人の前提とも取れる主張自体が自分にとっては疑いそのものだった。
どうして「哲学を学ぶべき」なのか?
自分は哲学を学ぶのは嫌いじゃないし、むしろ興味がある方だと思うが、「学ぶべき」と言われてもピンと来ない。正直、学ばなくていいと思っている。哲学に詳しい人が特別偉いとか賢いとかも思わない。実際そんなことないとないとすら思っているくらいだ。
「彼」と「哲学」だけはない。
もうひとりの「日本のために人生をなげうった」風の人物は、「人々は歴史を学ぶべきだ」だとよく言っていた。「人々の歴史について無知だから、道理が分からず、世の中が間違った方向へ向かう」という主張だ。
このもっともらしく聞こえる文章は、全く同じ構文で、「歴史」の部分を「哲学」やそれ以外に変えても使えそうだ。
理想/理念と現実のギャップの裏で何が起こっているのか
この思考と姿勢を、もっと極端に、シンプルに表現してるものを目にしたことがある。
Xで見た、「何でみんな政治に興味ないの? バカなの?」という文章だ。この手の文章は実際ネットの世間に溢れているのだが。
これ、ふざけた文章とも思えるが、ここまで率直だと何を考えているのか、何が起こっているのかがあまりに分かりやすく、ある意味とても勉強になった。
要するにそこにあるのは、「傲慢さ」である。
「哲学を学ぶべき」
「歴史を学ぶべき」
「〇〇を学ぶべき」
大きなお世話だ。
自分が何かを知っていたり何かを信じていることで、自分が人より世界を理解していると思っていたり、人より世の中の役に立っていると考えていたり、また、自分の理想や理念を他者にも押し付けているとしたら、それは傲慢だろう。
だから現実から乖離する。現実の世界や人間が見えなくなる。
これが、自分が「理想や理念を語る人」に見る疑い、そして実際に目にする「現実の姿」との「ギャップ」についての理解だ。
伝わる智慧の言葉
自分の生まれ育った大阪では、子供達の間で古くから伝わる言葉がある。
「人にアホという奴がアホや」
まさに智慧の言葉である。