「煽り」の善悪 – 精神の自由とコントロール(心理操作)

もう今さらだが、コロナ禍で日本中が大騒ぎだった頃、
その火付け役の中心とも言えるテレビのコメンテーターが
「感染症に関しては煽るくらいがちょうどいい」と言ったらしい。

実際、彼や彼らからは「本当にそれが正しい事である」と、
そう信じてやっているのだろうとは見て取れたものだった。

さて、ここからが本題だが、僕の意見として、感染症だろうが何だろうが、
人を煽って行動させることが”善”のはずはないと思っている。

「煽る」というと言葉は曖昧だが、やることは、色々な理由(コロナ禍でいえば、将来の危機、生命を失う恐怖、道徳観念など)を利用して、人の感情を掻き立てて、行動を促すわけだ。

感情が激しく動くと、理性の働きを阻害する。
煽られると冷静な判断ができなくなる。

そういう意味では、煽って行動を促すということは、
人の精神の自由を制限し、コントロール(心理操作)する行為だ。

かつて、「あなた、地獄に落ちるわよ」と煽って、
自分の考えを押し付ける占い師がテレビで一世風靡していた。

オウム真理教などがのカルト宗教も、その洗脳手口はあの手この手だったが、
基本的に、徹底的に、煽っていた。

その他の悪徳宗教、ブラック企業、詐欺、反社会的集団のように、
人の感情と思考を操作してメリットを得る人達は、煽りのエキスパートだ。

物を売る技術には、言ってしまえば
「相手の感情を動かして、混乱させ、買わせる」
といった方法論があったりする。

どの業界にも煽る人はいる。

プライベートな人間関係でも、人はしばしば
感情的な演出によって相手をコントロールしようとする。

悪意があるとは限らない。

先のテレビコメンテーターのように、善かれと思って、正しいと信じてやっている人達もいる。
(そういう意味で、宗教、自己啓発/スピリチュアル業界も紙一重だ。)

殆どの人は、価値としての自由について深く考えない。
人の精神の自由の意義について理解しない。

だから善意の人たちですら、人を感情的に煽って操作しようとしたりもするのだ。
(あなたのことを本当は大切に思っている”良い人”が、 本人は無自覚に、あなたを操作しようとすることもある。)

しかし、煽る人は、結果のリスクを負わない。
煽られて行動したその人の行動の結果、その人の人生に責任を負わない。
他人の人生なのだから責任を負いようがない・・

また、それ以前の問題で、
人を煽って行動を促すような人の視野は大抵限定されていて、
本当に他者の人生を考える余裕や知恵はないものだ。

なのだから、例え、動機が善意だったとしても、
煽って行動を促すことが善とは思えない。
結果に責任が取れない以上、フェアではない。

本来、相手のために善かれと思って、できることはせいぜい、
相手の精神の自由を制限せずに、相手が現実を見るその手伝いをすることだ。

そこには、相手の精神の自由と、理性への理解・敬意が基礎にある。
相手を感情的に煽って心理操作して動かすこととは根底から真逆の姿勢と行為..
誠実さと言ってもいい。

もちろん、自分が煽られないように気をつける必要もある。
善意であっても、悪意であっても、煽られることはあるのだから、
その時に精神の自由と理性を手放さないようにしたい。

とにかく、現実を見ることだ。