流行りの悪癖 “自意識過剰”

コロナ禍がやっと落ち着き始めた時期になった頃、マスクを外す人がチラホラ増え始めた頃に、少し話題になっていたんですが、若い女性を中心に、

「マスクを外してガッカリされるのが心理的にプレッシャー」で、

「それが怖くてマスクが外せない」

という問題がありました。

その以前に、コロナ禍の最中にはよくあった俗っぽい話題として、
「マスクをしていると誰もが結構な美人に見える」
ということがあり、

それとのセットとして、
「マスクを外すと期待したほどでもなかった」
というような感想を抱き合うことも同様に
(口には出す出さないは別にしても、)珍しくもないものになったと思います。

この「美男・美女を、実際の姿を見てガッカリ」という、
ここで客観的に起こっていることは、
「見る側が勝手に期待をして、思い描いて、そのあとに現実を知って落胆している」
というだけのことです。

喩えるなら、「ギャンブルに勝てると信じていたが、蓋を開ければ、結局負けました」みたいなのと変わらない。

そう考えれば、「各々好きにやらせとけばいい」という感じなのです。

しかし、人によっては、こと対象が自分の容姿である以上、
それを「気にして」しまう。
プレッシャーや恐怖を感じてしまう。

どうしてそうなるのか?

自意識過剰という思考のクセ

ここにあるのが、自意識です。

昔から”自意識過剰”という言葉でも言われるもの。
それが悪さをしています。

つまり、

自分はどう見えるのか」「人にどう見られるのか
といったことを
例え客観的には関係がなく、重要ではない場合にも、

強く意識してしまう、

といった“考え方の癖”です。

しかも、今の世の中は、「自分探し」「自己啓発」「自己分析」というコンセプトから見て取れるように、
「自分、自分、自分・・」と、
自分に意識を向けるように仕向けるメッセージが溢れていて、
自分を意識することは「流行」みたいになっているところがあります。

なので、あくまで傾向の話ですが、自意識過剰は”流行り”の”考え方の癖”とも言えます。

しかしこれが人々の足を引っ張り、人生の重荷にもなっている。

何しろたかだか他人の前でマスクを外すことにすら、心理的プレッシャーに感じてしまうのですから。

“自分”にフォーカスすると”自分の力”は発揮できない

自意識が強い人にとって、問題となるのは、もちろん容姿だけじゃありません。

能力、知性、適性、パフォーマンス、
学歴、経歴、社会的ポジションやイメージ・・

自己イメージに関わること全てが問題になります。

何かにつけ、人にどう思われるかを気にするので、
そうすると、意識は常に自分自身にフォーカスし続け、
視野は狭まる。

主観的になるので客観性は保てなくなる。

そんな状態なので、パフォーマンスは下がる。

皮肉なことに、自分自身のことを気にすればするほど、
逆に自分の能力を発揮できなくなるわけです。

学習と成長の妨げ

そして自意識が強い状態だと、学習と成長の妨げになります。

何かを新しいことを学ぶ時には、必ず
「それができない期間」、「できない自分」を経験する。
または人に見せるかも知れない。
そんな期間があります。

自分がバカみたいに見えるというのは、多くの人とって気分の良いものではありません。

これは、自意識過剰な人、つまり自分のイメージが”一大事”である人にとってはいっそう脅威です。

「できない自分を受け入れられない、人に見られたくない」
という心理が支配的になり過ぎて、防衛的になってしまいます。

学習には失敗を含む挑戦がつきものですから、
これでは新しいことを学べなくなります。

現実を理解する

現実は、「人が自分をどう思うか」などということは、大抵の場合は関係がありません。

それが「関係ある」場合もあります。例えば、容姿や見え方が仕事の一部であるモデルや役者か何かだったりすると、容姿や見え方を意識することは実際的に重要です。

しかしそれらにしても、あくまで「客観的に自分の見え方を意識する」わけであって、主観的な自意識過剰とは別の話です。

普通は、学生や社会人、何をやってる人でも
「自分がどう見られるか」が直接重要なことはないのです。

自分の学業や仕事には関係はない。

しかし、単なる考え方の癖で、思い違えてしまっているのです。

まさか、「人の気持ちは関係ないから、好き勝手にわがまま放題やればいい」という意味に取る人はいないと思いますが、勿論そういう話ではない。

「関係のないことは関係がない」
「他の人の考えや意見はどうすることもできない」
「どうしようもないことを気にしていても役に立たない。それどころか、足を引っ張る」

という現実の理解の話です。

最初にも書いたように、人が「マスク姿に、勝手に美男美女を思い描いている」のは、「宝くじを買えば当たる気がする」と言ってるのと実質的には変わらないのです。

それをこちらが気にする価値があるかどうかは、言うまでもない。

心の癖をマスターする

“自意識過剰”というと、性格や性質、心の問題だと捉えがちです。

そう考えると、抽象的で、客観的に扱うことはできないものになる。

「気にしてしまう性格だからどうしようもない」と言ってしまいたくなります。

しかし繰り返しになりますが、これは実際、一般的な考え方の”癖”です。

“癖”というのは、客観的に見て整理し、
そして新しく良い習慣を身につけていくことで
変えていくことができます。

「自分が何をしているのか(考えているのか)」を客観的に観察し、
効果的な方法を取るようにしていき、それに慣れていくのです。

考えても意味のないことに気づき、
意味のあることと、意味のないことを分ける。
そして、意味のあることを考えるようにする。

もちろん、何でもすぐにはマスターできない。
最初は規律と訓練が必要です。
しかし、いずれ上達して、それが自然になる。

自意識過剰、自己イメージ、自分がどう見られるか?
それはそれで結構です。
しかし、うんと後回しにできます。
もっと意味のあることを先に考えるのです。

自分にとって本当に重要なことを中心に考えて
そこにフォーカスしていれば、やがて、
余計な自意識をさしはさむヒマもなくなるでしょう。