ちょっと体験談的な話。
「吃り」とか「吃音」と、それらを含む「しゃべり」について。
言葉はよく聞くものの、これらが何のことか、僕はあまりよく分かっていませんでした。
それが数年ほど前、たまたま映画紹介の話を聴いていて、それが「英国王のスピーチ」という映画の話でした。
で、この映画、どうやら主人公の英国王が”吃り”であるとのことで、それが映画のポイントでした。
つまりザックリ言うと、主人公が吃りを克服する物語、ということですね。
と、説明されても、その時の僕は「吃り」についてよく分かってなかったので、やはりピンとは来ない。
なのですが、そののち、単なる映画への興味から、その映画を観ました。
映画の中で、主人公の国王は、スピーチしようとすると何だか上手く声が出てこない様子である。
で、それを観て、僕は「あー、吃りってこういう感じか、なるほど・・」
でもそれは映画の話なので、「じゃあ実際の人はどんな感じだろう?」と思って、YouTubeで検索しました。
軽度の吃りの人が話している動画なんかがあったので、それを観てたのですが、そこで僕は「あれ?」と思った。
というか気づきました。
「自分もこんな感じやん」って。
知らんかったわー!言葉だけ知っててね・・って感じ。
そういえば、映画で観たような「言葉が本当に出てこなくなる状態」ってのも、状況によっては経験がある。
「でもまあ、そういうもんや」と思ってたんですね。
とりあえず、普段から話す時によく噛むし、言葉が出てきにくいとか、逆に不要な音が滑り出したり、中途半端な発語とか、なまじ繋がって通信の邪魔をするKyoto-wifiのようなよく分からん状態になってる時もよくあったんですよ。
今でもないことはない。
オンラインで何人かの人とディスカッションする機会を持つようになってからは、画面の中で他の人達が、”淡々と”、”ツラツラと”話している様子に、自分とは根本的が何か違う感じがするなあ、と時々思ってもいました。
そうか、(軽度の)吃りってのは”自分のこれ”のことでしたか、なるほど・・
でも、僕の場合、自分が吃りとは認識してなかった。
ただ、それよりもっと前に接客業の中で自分の特性は認識していて、だからバーテンダーになった時に、「こんな話下手では不味い」と何度も痛感して、何とかしようとした。
例えば他の人の話し方を物真似してみたり、ジェスチャーを取り入れたり、積極的に試行錯誤をしました。
自分の話し声を録音して聴いてトレーニングしたりもしていました。
その録音トレーニングから得ていた”ポジティブ面”の気づきは、
「最初は違和感があって嫌いな自分の声やイントネーションが、次第に”持ち味”と思えて好きになっていく」
という、これはこういう話では、あるある話です。
そして、上達もした。
何せ接客業、それもバーテンダーのような接客仕事をしてきたので、やっぱり、色々と困難や恥ずかしい思いや後悔は幾度となく繰り返しながら、ポジティブな成果・成長もちゃんとあったわけです。
今では、人によっては、時々、僕のことを「話が上手い」とか「声がいい」とも言ってくれたりもします。
まあそれがどの程度のものかはさておいて(プロの芸人とかじゃないので)、
いずれにしても、全てが元からの特性や能力だったのではなく、一部は間違いなく、練習・研究・試行錯誤によって、元の苦手のデコボコを「逆に持ち味へと昇華してきた」というものです。
自分の垢抜けない喋りと一緒に、切磋琢磨してきた。
これが僕の喋りの物語・・などと、ええカッコするような話でもなく、
「だから何なんだ?」というような話ですが、
一応、生の体験談でした。
PS.
今でもしょっちゅう言葉を発する時に、一瞬詰まることがありますが、
これは今の僕には、音楽で言う「”裏ノリ”を入れる」みたいなものです。
他には、意味のない発声が入ることがあり、これは”ガヤ”とでも言うか😅