心理学者のアブラハム・マズローは欲求の5段階説を唱えました。
これはもうそこかしこで紹介されてきているかなり手垢のついた理論なので、見聞きしたことがある人が多いでしょう。
(僕がこの話をはじめて聞いたのは20年以上前ですが、その当時にはすでにお馴染みの理論だったようです。)
その詳細はネット上にいくらでも転がっているので説明する価値があるのかどうか微妙なので、画像を貼ってしまいます。
見てもらった方が早いので。
(↓ネットから適当に拾ってきたやつ)
マズローによると、人間の持つ欲求はこういう階層構造になっていて、
で、
「人間は特定の段階のニーズが達成されることで、より上位の欲求へと進み、やがて自己実現欲求のステージへと辿り着く」
という、そういう理論らしいです。(この5段階が有名ですが、この上に「自己超越」という6段階目もあるみたいです。)
まあ、なるほどという面もあります。
水や空気や食事は生命に関わるものだからまず根底にあって、感情面や社会性のような抽象的なものは、それよりもあとに来る。
しかし、彼のこの理論では、人間の創造的な欲求と事実を説明できません。
彼の階層では、創造性は最も上位の自己実現のステージにある。つまりそれよりも下位の欲求が満たされた後でやっと現れるものということになっています。
では、人間の歴史の中で、基本ニーズを十分に満たせない不運で切羽詰まった境遇にいる人たちが、それでもアートや音楽や文学や詩を創り出してきたのはどういうことでしょうか?
オリヴィエ・メシアンという作曲家は、ナチスの捕虜収容所の中で「世の終わりのための四重奏曲」を完成させました。
音楽の重要な発展は、しばしば不況のどん底や、極めて貧しい地域から生まれてきました。
ロックを長いこと好きで聴いていた僕や音楽好き仲間の間では、「”時代”が悪いと、良い音楽(ロック)が生まれる」という意見を共有していました。
大恐慌のアメリカの荒廃の中で、豊かなカントリーフォークミュージックが生まれました。
経済的に最も貧しく、教育や治安が最も恵まれないスラム街からHiphopの音楽、グラフィティ、ブレイクダンスが生まれ、のちに世界中に広まりました。
地方の片隅のローカル色のものから、中央都市の洗練されたものまで、あらゆるところに創造的な文化があります。
創造する欲求は、人の本能に深く根差しているもののように思えます。
それは人間の特権。というとやや語弊がありますが、人間らしさの象徴と言えます。
動物も巣や集団を作りますが、創造とは違います。動物のそれは生存欲求と繋がるニーズです。人間にとっての創造は、ニーズではなく、ウォンツです。
創造は本当はニーズではない。”必要”はないのです。
必要がなくても、生み出したい、実現したい、それを見たい、と思うものからするものです。
アップル社のiphoneにしても、スティーブ・ジョブズが”iphone必要だから”生み出したものでしょうか? 彼が、まだ存在していないそれを生み出したいと思ったから、生み出したのではないでしょうか。
人間はニーズ-必要性を超えた先で、詩・音楽・文学・絵画・アートを創り出し、建物を建て、人間関係や家庭を築き、新しい技術すら生み出します。
人生に創り出したいものについて考えるとき、マズローの言うような階層に従う必要はない。
真の欲求に従っていいものです。