肖像画を描いたら美化してしまっていたのか?という話(とアートと人生の教訓)

どうも。今日は短い話題です。

海外の友人が日本に旅行に来ていて、今は北海道を車で走り回って満喫しているみたいです。

彼女がとある美術館を訪れ、そこにある彫刻を見たら、ヨーロッパ人の像の体の造形は強調されていて、「そんな風に見えているのね」と思った。そんな話もしてくれました。

先日は、僕は友人のポートレイトの透明水彩画を描きました。
2日(たぶん6時間くらい)かけて、プロセスに没頭し、自分なりにはまあまあできたと思いました。

できた絵をモデル本人に渡すと、喜んでくれて、それは何よりで良かったのですが、
「私より可愛く描いてくれて、ありがとうございます」
と言われてしまいました。

というのは、僕としては、そのつもりはなかったのです。
美化したつもりはなかった。

僕の描いた絵が「美化」とか「本人より可愛い」というわけではないと今でも思っていますが、少なくとも描いた僕が認識している以上に、本人の目には「自分じゃないように見える」のかなと。

もちろん絵というのは、アート表現なので、実物より美しく描かれても何もおかしくないものです。

むしろ、何か”絵にするなりの表現”がないと「写真で良いや」という話にもなります。

で、人(の顔)なんかを写実的に描く場合は、普通はあえて醜く描くよりは、どちらかと言うと美しく描くもののはずです。

とはいえ僕の場合は、見習いというか、まだまだ練習生なので、訓練です。
だから、美化したりせず、できるだけ丁寧に客観的に観察し、実物に寄せるのが課題です。

で、自分ではそうしたつもりだったのですが、結果的に自分では気づかないところで美化なり誤認識が起こっていたとしたら、その分は自分の未熟、能力/技術不足、課題だと思ったわけです。

「正解」はない。「誰が何をどう表現してもいい」という自由がある。
ただ、それは、「全てが何でもOK」という話とも違います。

ということで、創造することは、そのプロセスの味わい深さと共に、学ぶことは尽きない。
訓練が必要です。

これも人生に適用可能なアートの教訓でした。