前回の投稿のパート2というか、画家の小木曽誠先生の同じ動画からのアウトプット。
前回の投稿はこちら
【画家に学ぶ】外的状況vs望む成果へのフォーカス
動画の続きがまだ興味深かったので、”鉄は熱いうちに打て”の気持ちで引き続きネタに使わせてもらいます。
教えを請う人々
小木曽先生の個展を観に来る人たちの中には、やはり、自分でも絵を描いている人がいるみたいです。
そんな人たちが小木曽先生に絵についてのアドバイスを求めてくるみたいなのですが、その中には「他の人に(他のところで)言われた意見をそのまま持ってくる人がいる」というような話していました。
「(どこぞの先生に)こう言われたんですけど」と言う、と。
それについて、小木曽先生は、
「何故そう言われたのか、もうちょっと考えてみたらどうですか? 」
「自分はどうしたいのか?自分なりに理由を持つことが大事だと思いますよ」
などの意見を語っていました。
他には、「団体展に所属していないと大きな作品は描かないじゃないですか・・」
というコメントをする人もいるみたいで、それに対しても、小木曽先生は
「それは(考え方が)違う。”自分が描きたい”が先だ」
と思わずにはいられないようです。
他力本願作戦 (と恋の悩み)
この話の教訓も、前回の投稿と関連しています。
彼らは「ある先生が何と言った」「どこの団体に所属している」といった外的な要素に、創作の主導権を譲ってしまっているかのような状態なのです。
上のいくつかの見習いの人々のコメントは、表層的には素直にアドバイスを求めているだけですが、もう少し深く見ると、それは”姿勢”、”あり方”の問題です。
自分の目的意識が中心ではなくなっているわけだから、自分で考えることをしなくなるわけで。。いわゆる思考停止です。
そしてこれは美術創作だけではなく、他の目標、仕事、人間関係、恋愛、家族関係など、人生の他のあらゆる領域ついても同じことが起こりえます。
どういうわけか自分の意思を差し置いて、他力本願になる。
動機を外の環境に求めたり、他の人にやるべきことを教えてもらおうと考える人がいます。
しかし、自分の頭で考えることをせず、人の意見に従って意思決定すると、しばしば物事はうまくいきません。
むしろ皮肉なことに、話が複雑になったり、悩みにはまったり、あとで後悔してしまうのはそういう場合に起こります。
(これは、多くの人が若い頃の”恋愛”で経験している失敗だと思います。悩みに駆られて友達に恋愛相談しても、むしろ悩みが膨らんでおかしな行動や悪い結果につながります😃)
正しい振る舞いと幸福
こういう指向性は、成長過程や社会生活で身につくものなのかも知れません。
学校教育、親の教育、一般社会ではしょっちゅう、「正しい振る舞い」「間違わない選択」を求められます。
そうやって身につけた考え方が、確かに、社会で生きていく上で「役に立つ」側面があります。
が、その一方で、人間が本来的に持っている内的動機を見失ってしまう。
「何を望んでいるか」を見えなくして、「自分で考え、自分で選択する」ことを蔑ろにしてしまう。
それが、「目標について外的環境を理由にする」とか「他人の意見をそのまま持ってくる」「自分の意思は差し置いて、人に『どうしたらいいですか?』などと質問する」といった姿勢と行動にもつながるのでしょう。
しかし、社会でうまく生きているために役に立つことが、必ずしも、個人の幸福や充実に役立つとは限りません。
人生は正解探しではないし、人間の成長はペットの躾のようなものでもないのです。
本心が中心
先のいくつかの相談について、小木曽先生は動画の中で
「そういう(上のような)話を持って来られても、私は正直知りません。」
とぶっちゃけていました。
これは経験を積んだプロのアーティストの価値観からすると当然の意見でしょう。
人生のあらゆることついても同じです。
本人の内発的な動機、価値観、志がなければ、他の人がしてやれることは少ない。
本人に本当にとってためになるアドバイスもできないというものです。
美術創作でも、それ以外の創造行為でも、人生の目標達成でも、何かを創り出そう/達成しようとするときの原則、かつ素晴らしい点。それは、内的動機-本心によるものであるということです。
「自分が何をしたいのか」が常に中心です。