今日の話は、最近「興味深いなー」と思った出来事から。
トピックは容姿と美意識ですが、そこから少し深く掘り下げていきます。
それでは、
“生まれ変わりたい”女
僕の知人女性(30歳)で、「整形手術をしたい」と言ってる人がいます。
「生まれ変わって違う顔になりたい」「自分は面長なのが嫌だ。もっと丸い顔になりたい」などとしょっちゅう語っています。
ところが、その女性は、お世辞抜きに美人なのです。
そして本当は彼女自身もそれは分かっています。
と言うのも、例えば彼女はそもそも容姿が”売りもの”になる仕事をしています。
また、別の機会では「(職場に)私より可愛い女の子はいない」という言葉が出たこともあります。
それでも「自分の顔はイヤだ」と言うのだから、ちょっと支離滅裂です。
自分が美人だと自覚していながら、大真面目に自分の容姿に不満を言ってるのです。
同じニュアンスで、彼女は十二分に痩せているにも関わらず、「自分は太っている」とも言います。
ある時、たくさん食べては、調整すべく(実際には不要な)断食をする・・そんなことを繰り返しているようで、正直馬鹿げて見えます。
共通の知人は、彼女のことを大雑把に”彼女は美意識が高い”と言います。
美意識と価値観
いったん話は逸れますが、”美”は価値です。
美意識は価値観と言えます。
価値(観)は、人や時代によって相対的に変化はしながらも、価値はそれ自体が豊かさであり、新たな豊かさを創造する土台にもなるものです。
お洒落したりお化粧したりといったことは、個人の生活と人生、または社会を明るく豊かにしてくれます。
ファッションだけでなく、「美」の価値観と望みは、アートやデザインや建築といった大小様々な文化を生み出してきました。
これは(価値観としての)良い美意識による成果です。
ところが彼女の例を見るに、美意識と言っても豊かで創造的な良いものばかりではないようです。
解決すべき問題
先の彼女が自分の容姿について語る時、表情は険しく、暗い。
フォーカスは悪い点に偏っていて、今の現実にある価値を認めず、狭い世界に閉じこもっているかのようです。
他の人の声も耳に入りません。
「整形手術をしたところで、または生まれ変わったところで、幸運にも今より良くなることはまずない」
「あなたは丸い顔になりたいと言うけれど、丸い顔の人はむしろ”あなたみたいな顔になりたい”と言うだろう。つまりどちらもただの”ないものねだり”だ」
そんな風に、僕も彼女に対してコメントをしてきしたが、そんな事は彼女にとってはどうでもよい。
事実がどうあろうが、他人が何と言おうが、自己意見においては彼女の容姿は”不十分”ということになっている。
彼女の美意識において、自分の容姿は、創造的な価値ではなく”解決すべき問題”だからです。
客観的には彼女は美人で、彼女自身も、本当はそうだと知っている。
しかし、彼女にとって自分の容姿は”解決すべき問題”であり、その限りにおいて、現実の美点は気休めにしかならない。
彼女に起こっていることの真実は、美や容姿の”不十分さ”が問題だということではなく、問題解決の思考がトラップなのです。
(彼女がどうして自分の容姿を”解決すべき問題”だと思っているのか?その理由を掘り下げるにはもう少し質問などして探求していく必要がありますが、今のところ、それは大きなお世話です。)
問題解決の暗いループ
“問題解決”の思考の中にいると、意識の視野はその枠組みの中に限られ、彼女がそうであるように、
「ここは悪い。ここも悪い」
と悪いところ(問題)を見つけることばかりにフォーカスし、長けていきます。
そして仮に、一つクリアしたと思っても、
「まだここが。次はここが・・」
そうやって延々と沸き出てくる問題と格闘し続ける。
問題の解決に明け暮れることになります。
これはどこまでやっても、創造的な発想や人生の助けにはなりません。
問題をいくら解決しても、欲しい成果を創造できるわけではない。
(心当たりはないでしょうか?)
問題解決と創造は、全く異なる営みだからです。
生まれ変わる道
ゼロから考え直すことが役立ちます。
“解決すべき問題”に動かされるのではなく、自分の本心、自分で選んだ望みについて考え直す。
実際、僕は先の女性に、全く違う話をふってみました。
彼女は過去に美術を学んで絵を描いていた経験があることが分かり、その話を掘り下げてみたのです。
彼女は、「しばらく絵は描いてないけど、また絵を描きたい」と言いました。
そんな話をしているうちに、彼女の目と表情に暖かな明かりが灯りました。
それまで容姿の話をしていた時には不満げで、暗く、冷たく、取っつきにくい空気をまとっていた彼女とは別人のような明るさ。
問題解決の暗いトンネルから出て、創造的に考え始めたことによる明るさです。
創造的に考え、創造的に生きようとするとき、いつでも”生まれ変わる”ことができるのです。